勝ち組、負け組とは
最近、何気ない会話の中で人生の勝ち組、
負け組という言葉がよく聞こえてきます。
個人的に好まない言葉で、私は使わないようにしているのですが、この言葉はどういった意味をもたせて使われているのでしょうか。
私の周りは自分も含め、今は就職活動についての話が大半を占め、それぞれが内定した会社について話すことがほとんどです。
そんな中、私自身も関係ない人からみた上では”良い会社”に行くことになり、
「勝ち組の人生が決まって良かったね」
と言われたりすると、大きな違和感を感じることもあります。新卒で入る会社によって人生を決めるんだ!と意気込んだ上でそもそも就活なんてしていないし、新卒の会社で人生が決まる世の中であれば非常にイージーだなぁと。
勝ち組、負け組というものは常に他者評価の上で行われるもので、その評価には自分の意思は含められていません。
また、その時点でのみの評価であるため、
非常に刹那的な、価値の乏しい言葉であるように感じます。
いい大学を出て、いい会社に入って、いい家庭を持ったとしても、明日車に轢かれてしまえば、”負け組”と評価されるわけです。
他人に対して、序列をつけながら、勝ち組、負け組と評価するようになるよりも、自分個人の”何か”を見つける方が、楽なのではと思います。