見たまま聞いたまま

ここ最近考えていることをさらっと書いてます。

去り際の美学とは

先日のワールドカップで日本代表が、ベルギー戦に負けた後のロッカールームの写真が話題になってました。





立つ鳥跡を濁さずということわざや、昔の切腹の美学のように去り方や引き際を日本人は重要視することがあます。負けたのにも関わらず綺麗に掃除して、尚且つメッセージを残していく日本チームはまさしく日本の代表です。


この文章を書いている私は今まさにワールドカップで盛り上がっていた渋谷のマクドにいるのですが、上から人を見ていると、ある若い女性が一人でひたすらポイ捨てされたペットボトルやゴミを拾っています。ボランティアでも清掃員でもなく普通の格好の彼女がなぜそのような行動をしているのか気になりましたが、私には声を掛けるような勇気は無いので、理由は聞けませんでした。


誰も見てないと思ってゴミをポイ捨てする人間もいれば、誰も見てくれているわけでもないのにゴミを拾う人間もいて、世の中はうまく回っているのかなぁと。

因果応報的な考えは割と正しいと思っていて、自分の起こした行動は、最終的に良くも悪くも自分に返ってくるものです。しかし、そういった見返りを求めず、良いことができる人ほど強いものはありません。「しない善よりする偽善」という言葉がありますが、見返り目的の善意は相手にとってむしろ害になることもあります。


私には何も力はありませんが、見返りのないように思える行動をできる彼女に少しでも良いことが起これば良いなぁと思います。

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