ともだちとは
以前より、友達やコミュニティについて深く考えることが多いなぁと感じます。
最近は時間に余裕ができたこともあり、友達と会う機会が多くなりました。
基本的に自分から人を誘うことが少ないので、誘われたら喜んで行くという形がほとんどですが、その中でも、ずっと誘ってきてくれる友達がいるというのはほんとにありがたいことです。
そんな中、小中高の各段階で自分は友達が多い方だと自分の中では解釈していましたが、
果たして今に至って定期的に会う友達は何人いるのだろうと。多けりゃ良いってものでもありません。
『一年生になったら』という歌にある
“友達100人できるかな”
という歌詞は、学校の中で、友達が多ければ良いという価値観に基づいており、本来は
“友達3人ぐらいでいいかな”
という歌詞の方が、今思えば断然楽な感じがするわけです。
コミュニティ形成の理論に近い話になってくるのですが、少数のコミュニティで多くの人と関わることよりも、多くのコミュニティで少数の人と関わるほうが生きやすい世の中になってくるのかなぁと私自身考えています。一番長い時間を過ごす職場や学校、そして家庭以外の次の居場所はいくつあるか考えてみることも良いと思います。
例えば、スターバックスコーヒーには、
職場や家庭とは異なった“第3の場所”を作り出すというコンセプトがあるそうですが、世の中の人が落ち着くための居場所を求めるニーズにまさにマッチしたものになっているように感じます。(インスタ映え、オシャレ感ももちろんあると思います。)
また、最近やたら不倫が多いなぁと感じるのも職場と家庭以外の”第3の場所”を求めて、結果的にそれが不倫相手となってしまうパターンなのだと思う次第です。
一つのコミュニティ、一人の人間に”依存”することは相手にとっても自分にとっても良いことではなく、自分の居場所を探し続け、掘り当てるような能力が必要なのではということです。